第107回 帯まつりの様子。

島田大祭 帯まつり

島田大祭は元禄八年(一六九五)より始まったとされる大井神社の祭礼である。かつて大井神社の神様は、大井川の氾濫などによって幾度とお社を移さなければならなかった。そんな神様が、以前鎮座されていた場所へと神輿に乗って里帰りを始めたのが大祭の神輿渡御の起源とされている。一方で、島田には嫁いだ花嫁が大井神社参拝後、晴れ着姿で街を歩き挨拶回りをする風習があった。しかし、いつしか女性が見世物のようで気の毒だという人々の気遣いが広まり、花嫁の代わりにその命とも言える「帯」を小太刀に飾った大奴が、安産祈願と合わせて町中を練り歩く習わしへと変化を遂げた。それからは「島田に娘を嫁がせるなら帯だけは良い品を。」と言われるようになり、島田には各地から豊富な種類の立派な帯が集まり、大奴の練り歩く姿も華やかになっていった。この二つの慣習が混ざり合い、島田大祭帯まつりが成立したのである。

孕石さん

蓬莱橋で会いましょう。

橋番歴10年の孕石吉嗣(はらみいし よしつぐ)です。蓬莱橋は、木造橋の中で世界最長、そこが一番大事だよねぇ。そして所有が農家で成った「蓬莱橋土地改良区」という民間団体で、通行料をもらう賃取橋ということも珍しい。今、橋脚は一部コンクリート柱になって丈夫になったけど、僕は昔の橋全体が木造で歪な形をしていたころも風情があって好きだったなぁ。子どもの頃、カブトムシやアケビを採りにこの橋を通って向こうの山までよく遊びに行ったが、今よりも橋の高さが低いもんだからこっそり途中からよじ登って、お金をちょろまかして怒られたりしていたよ(笑)。今PRしているのは、世界最長の木造橋から世界遺産の富士山が見えるってことなんだ。やっぱり冬がいいねぇ。空気も澄んでいるし、雪化粧した富士山と蓬莱橋の組み合わせは本当に綺麗だよ。

鈴木さん

勉強会の様子。

「非日常」を装う、そのときのために。

島田髷まつり保存会会長の鈴木房雄です。島田髷は日本髪の代表格。島田宿の遊女から始まり、当時の未婚女性の間で大流行したと言われています。現代では白無垢の花嫁さんが結う髪型です。今日は昭和40年から続く「日本髪結上げ勉強会」の日。今回は、島田髷まつり(今年は9月18日でした)が目前なので、保存会メンバーだけの勉強会です。一般公開日もありますよ。日本人女性はね、子どもからお年寄りまで皆、日本髪が似合う。DNAですかねぇ。日本髪は粋な髪型、可愛らしい髪型と様々ありますが、いずれかの髪型は皆さん必ず似合うんですよ。また、今の島田には花街がないのに日本髪の文化が残っていますでしょ。先人たちが文化を繋いでくれている証拠です。我々もこのバトンを受け継ぎ、この先もいいものを残していきたいですね。

朝比奈さん。川越遺跡の「川会所」前にて。

大井川と島田の町並みの関係。

島田博物館主任学芸員の朝比奈太郎といいます。島田にはですね、いたるところに大井川の氾濫を避けるための堤防跡と思われる道や場所があるんですよ。昔の堤防は、「これで本当に水害を防げたの?」と疑うくらいに高さのないものです。現代のように高く壁のように築いて水をせき止めるのではなく、昔の土手は、氾濫した水が居住区に侵入しないようによそへと誘導する役割が強かったと考えられます。博物館裏の桜並木も昔の土手の跡です。それを意識しながら実際に歩いてみるとその低さに驚くと思います。史跡を歩いて散策するのはお勧めですね。昔の人の考えも見えてきたりして、発見があるかも。かく言う私も、島田、金谷の東海道は自分の足で歩いています。何でもない小道が実はえらい殿様の通った跡だったりして、面白いですよ。