花魁道中

明るいまちへ

昼間は買い物客やランチを求めやって来る会社員が往来し、夜は煌びやかなネオン輝く、大人の社交場へと姿を変える街、両替町。少しデンジャラスなイメージをお持ちの人もいるかもしれません。しかし知っていただきたいのです。ここは、両替町の人々のまちづくり政策により、誰もがあこがれる街へと年々変化を遂げる、元気で明るいエリアだということを。例えば、両替町2丁目には年3回、通りを歩行者天国にして開かれるイベントがあります。春の花魁道中、夏の夜店市、そして秋のハロウィンイベントです。両替町通りの発展はもちろん、往来する歩行者の安全、安心を考えて始まりました

ハロウィンイベント

我々もハロウィンイベントに突入!普段とは違う音楽が流れ、撮影スポットまで用意されていて、オシャレで楽しげな雰囲気が漂っていました。仮装しなくても十分楽しめましたよ。静岡のハロウィンの聖地と言えば両替町で決まり?ですかね。何より「両替町通りで車を気にせずに歩ける」というストレスフリーな環境がこのイベントをより素敵なものへと変えているのでしょう。このイベントを通し、車と歩行者の両者が快適に行き来できるまちづくりが進むことを両替町2丁目発展会の人々は願っています。春夏のイベントにも期待です!

銀座跡とされる場所

両替町トリビア

両替町の成り立ちを探ってみましょう。江戸時代、徳川家康公によって整備された駿府城周辺。この町が整備され、「両替町」と名付けられたのもそのときなので歴史があります。遡ること慶長11年(1606)から6年間のこと、この地には京は伏見より移された銀座と呼ばれる銀貨の鋳造機関が置かれ、それに伴い金銀の両替屋が集まって栄えました。両替町1丁目にある石碑が、その銀座役所跡地とされる辺りを示しています。その後、家康公の隠居とともに銀座は江戸京橋に移され、その地は一時「新両替町」と名付けられますが、やがて「銀座」へと変わり定着しました。もうお分かりですか?そうです、両替町はなんと東京の銀座の先駆け的存在だったのです!

昭和8年頃の浅間神社廿日会祭例大祭

戦前から戦後間際の両替町

魚屋「魚喜」の君子さんは、大正10年生まれの両替町っ子。君子さんによると、昔は両替町のあちらこちらで三輪車やコマ回し、おままごとで遊ぶ子供の姿が見られたそうです。夏休みには朝5時頃から青葉通りでラジオ体操もありました。現在ではこの地区の子供たちが通っていた青葉小学校も2007年に他の小学校と合併しています。また、静岡浅間神社の春の例祭「廿日会祭(はつかえさい)」に人々は力を注ぎました。神輿は通りに溢れんばかりの人で押し合い圧し合い担がれ、迫力満点だったそう。手古舞(てこまい)衣装に身を包んだ女の子の頭に髷を結った姿はとても可愛らしかったんですって。形は違えど昔も活気があったようです。